尼崎市水道通水100周年記念誌
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 「尼崎にも近代水道をつくろう!」という動きは明治時代からあり、明治41年(1908)には、尼崎町が水道布設にかかる調査のための予算を計上し、京都帝国大学(現在の京都大学)の教授に委嘱して計画を作りました。この計画は給水人口を5万人とし、事業費が40万円(現在の価値にして約6100万円)でした。しかし、当時の町財政の規模では到底不可能な金額であったため中止に。大正2年(1913)4月にも計画が持ち上がりましたが、町の財政難を理由に延期されました。 一方、このころから河川の逆潮とともに井戸水の塩水化が深刻化し「早く近代水道布設を」という声はさらに、大きく神崎浄水場建設前の風景 _ 06「じゃ口をひねれば水が使える」という、私たちの世代では当たり前となっている水道が今に至るまでには、たくさんの苦労があったなんて想像もつかなかったな。当時はすぐにでも市内に水道をひかないと、日常生活に支障をきたすほど切迫した状況だったんだんね。大正5年(1916)~市制施行とともに、上水道の布設が決定。実現に向けて大きな一歩を踏み出しました待望の工事がはじまった❶

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