尼崎市水道通水100周年記念誌
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3564の確保は年々難しくなってきました。人口集中によってコレラ以外にも赤痢、腸チフスなどの水が原因とされる伝染病が流行し、慢性化しつつあったのです。て、近代水道の布設が切実な願いとなったのです。 日本の近代水道は、明治20年(1887)に日本で初めて横浜市に完成しています。以後、国の補助政策と相まって、主要都市を中心に近代水道の布設が進んでいました。「尼崎にも水道を」という声は、年を追うごとに強くなってきました。1:阪神電気鉄道株式会社/尼崎町の内大物に在り、明治32年6月の創立。2:尼崎駅/町の中央部にあり、本洲を横断して瀬戸内海と日本海とを連絡する阪鶴線の起点。3:大坂鉄工所尼崎工場/内大洲に在り、大正元年9月の創設。4:尼崎ガス株式会社/内別所にあり、明治45年5月の設立。5:旭硝子株式会社/内大洲に在り、明治40年9月の創業にして本邦に於ける板硝子製造の元祖。6:飲料水を確保するため幾度となく水道布設を計画しましたが、財政的な問題からなかなか実現せず、大正5年に市制が実施されると同時に水道布設を実現するための準備が進められました。尼崎町役場歴史をめぐる その根本的な防疫対策とし05 _ 尼崎市水道の100年を学ぶ

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