尼崎市水道通水100周年記念誌
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12 明治7年(1874)に官設鉄道が大阪・神戸間に開通し、現JR尼崎駅である神崎ステーションが開設されました。明治24年(1891)には現在のJR宝塚線の前身となる尼崎・伊丹間を結ぶ川辺馬車鉄道が開通し、さらに明治38年(1905)には阪神電気鉄道本線が開通しました。 交通網の整備により尼崎は阪神地域の中核として、近代的な大工場が進出するなど、早くから産業都市として栄えてきました。人口も明治40年(1907)には約2万人ほどでしたが、大正4年(1915)には約3万人になり、8年で1万人増加しました。に尼崎には良質な井戸が少なく、飲料水となるきれいな水 しかし、先に紹介したよう _ 04100年ほど前は、まだ井戸や川の水で生活していたなんて信じられないね。むしろ、たった100年で、市内一円全ての世帯に水が行き渡るようになったことを考えると先人の人たちの苦労がしみじみと感じられます。まちの発展とともに水道の普及は切実な願いになりました。尼崎市の水道 はじまりの物語❷

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