尼崎市水道通水100周年記念誌
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ました。その結果、水圧は低いものの地震発生から2週間後の1月31日には市内全域に水が行きわたるようになりました。 断水している間の水の供給を確保すべく、給水車などを使って応急給水を進めました。しかし。水道局や協力してくれた市内業者だけでは資機材や人手が足りなかったため、兵庫県に支援を要請し、地震の翌日の18日には兵庫県から要請を受けた奈良県下、和歌山県下の自治体や西播磨水道企業団などの給水車が到着し、給水拠点を増やし体制を整備していきました。 その後、自衛隊や中国地方建設局(現:中国地方整備局)などの支援を得て、応急給水にあたりました。応急給水のさなか、給水拠点から高齢者世帯などの家庭へ携行缶などにより水を運搬するなどの作業に多くのボランティアの協力がありました。QA戦後・大震災をめぐる23 _ 尼崎市水道の100年を学ぶ 尼崎市だけで継続して水を届けることが困難な場合は、兵庫県や他の事業体等と連携して応急給水を行います。そのため他の事業体等と連携して定期的に訓練を行っています。また東日本大震災や熊本地震のように市外の事業体が大災害により被災した場合は、要請に応じて尼崎市からも職員を派遣して対応しています。大規模な災害が起こったとき、尼崎市外と連携して水を届ける取組はあるの?

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