尼崎市水道通水100周年記念誌
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12 第一次世界大戦後の不況と金融恐慌から立ち直り、軍需産業を先頭に景気が上昇し、これに伴う市域の拡大と人口増加に対応するため、昭和11年から14年(1939)にかけて第2期拡張事業として、神崎浄水場と柴島取水場の施設を増強しました。 昭和12年(1937)に始まる日中戦争から昭和16年(1941)開戦の太平洋戦争へと時代が進む中で、尼崎の工業生産は軍需が中心となり、市民生活も戦時体制へと組み込まれていきました。尼崎市は昭和20年(1945)3月13日夜に最初の空襲を受け、以後7回にわたり空襲を受けました。特に6月1日と瀬・今福・神田中道・城内・焼け野原となった杭瀬商店街付近15日の空襲では、西長洲・杭 _ 14昭和11年(1936)~度重なる空襲で大きな被害を受けた尼崎のまち。水道も導水管の被害で一時給水できない状況なりました。戦災を乗り越えて❶
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