尼崎市水道通水100周年記念誌
15/36

阪神上水道市町村組合(現・阪神水道企業団)の設立2345緒をひらくと同時に、工業用水道を併設するという工業都市尼崎ならではの画期的な事業でもあり、現在の尼崎市水道の基礎を築く、まさに「百年の大計」と呼ぶにふさわしいものでした。 昭和初期の阪神間の他都市においても尼崎市が抱えていたのと同様の公衆衛生面や保安上の課題を抱えていました。その解決に向けて、兵庫県は「阪神間の自治体が個々に水源開発をすることは難しく、一体的に取り組むことが必要」という見解を示しました。 それを受け、昭和11年(1936)に16市町村からなる阪神上水道市町村組合が設立され、淀川を水源として工事を進め、昭和17年(1942)に尼崎の久々知に浄水場が完成し、受水を開始しました。これにより、尼崎市は安定的に給水できるようになりました。QA歴史をめぐる1:取水枠工事 2:完成した柴島水源地(現柴島取水場)3,4:第1期拡張事業竣工式(昭和3年4月)5:尼崎市役所(昭和13年頃)13 _ 尼崎市水道の100年を学ぶ 当時、県外から取水することはとても異例のことで、交渉は困難を極めました。工事も27インチ(約68cm)管という大口径管を約8km、神崎川を越えて布設するという、誰も経験したことがないものでした。そうした困難を乗り越えて淀川水利の端緒を開いたことは、とても画期的でした。淀川への水源変更は、何が画期的だったの?

元のページ  ../index.html#15

このブックを見る