尼崎市水道通水100周年記念誌
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 水需要の増加に加え渇水や水質汚染により、創設時の水源である藻川及び神崎川から取水を継続することは不可能となってきました。そのため、応急的な施設の増設ではなく、抜本的な水源変更が必要で、その調査を開始しました。猪名川、武庫川なども候補にあがりましたが、将来的な水需要を考え安定した水源として淀川から取水すべきという方針を決定しました。 他府県に属する淀川に水源を求めるという大事業であったため、大正13年(1924)に市議会で「上水道拡築調査委員会」を設置し、計画を策定しました(第1期拡張事業)。 淀川の柴島から神崎浄水場へ水を引くためには、大口径管を約8㎞にわたって布設しなければなりません。この間には河川(神崎川)を越える、水管橋をかけるといったこれまで経験したことがないような大工事を行う必要がありました。 一方で、市の水事情は1日の猶予も許さない状況下にあったので、作業は昼夜問わず行われました。不眠不休の工事を続けるという努力の結果、予定工期からわずか10日遅れの昭和3年(1928)4月 この事業は、淀川水利の端神崎川水管橋築造工事110日に完成しました。 _ 12淀川水利の端緒を開いた画期的な大工事に挑戦しました。尼崎百年の大計     いざ、淀川へ❷

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