尼崎市水道通水100周年記念誌
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 水道創設時の給水戸数は、総戸数7313戸に対して2353戸で普及率は32%程でした。一方で尼崎市は工業都市としてさらに発展が続き、大正5年(1916)からの3年間で、工場数は52から82に、職工数は7275人から1万 水道の給水量は工業用水が年も経たない大正8年(1919)夏には、当初計画していた量の2倍の給水量を記録し、水の需給状況はすぐにひっ迫しました。 さらに追い打ちをかけるように、大正11年(1922)から13年(1924)にかけて異常渇水が発生しました。断水は3年間で104日、断水時間は延べ1572時間、1日50%以上を占め、通水から180人に急増しました。 _ 10水道水を作るための淀川からの水が、今のJR東海道線の線路の下を通って流れてきているかと思うと、信じられないよ。それは、すごい大工事だったんだろうな。でも、それ以来、兵庫県でも淀川の水を使って水道水をつくることができていることを考えると、まさに最初に始めた尼崎って本当にすごいよね。大正8年(1919)~ひっ迫する水の需給状況。さらに、異常渇水と逆潮で大ピンチに。尼崎百年の大計     いざ、淀川へ❶

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