尼崎市水道通水100周年記念誌
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水道布設工事は、水量が豊富で水も清浄であった神崎川と藻川の合流点を取水地点として定め、給水人口5万人、事業予定額は43万1300円として計画され、工事が始まりました。それは第1次世界大戦(大正3年〈1914〉〜大正7年〈1918〉)の最中のことでした。日本は欧州からの輸入が途絶え、輸出が増えたことから物価が急騰していました。 水道布設の主要な資材である鋳鉄管は1トンあたり95円だったものが、360円に暴騰したため、水道の布設を中止する自治体が全国で相次ぎました。切迫しており、中止を許すような状況ではなかったため、古神崎水源地全景(ろ過池増設後)00 しかし、尼崎市の水事情は _ 08 _ 08物価の高騰で工事がピンチに。それでも諦めず、ついに水道が誕生しました。待望の工事がはじまった❷
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